Hiro Education

「考え方」を変えたら、楽しくなる

時々空気が読めない

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講談社現代新書の旧版の表紙デザインは奇抜だった


 家族で居酒屋に行くことがある。カウンターなどで主人と話をして盛り上がることもままある。しかし気分よく帰宅の途に就く道すがら、しばしば、かみさんから叱られる。あのセリフは主人に対して失礼だったよ、と。無論、こっちに悪気はなかったのだが…。

 演劇教育といえば、平田オリザの名をまず挙げるべきだろう。『下り坂をそろそろと下る』などの本を読み、その見識に深く共鳴してきた。そして、彼の演劇論が気になり、『演劇入門』を読んだが、実に面白かった。

 この本は、俳優を目指す人を対象にいちおうは書かれているが、その視野は広く深い。教育の場でも十分に生かせる知見が満載である。演劇の「リアル」とは何か?演劇が発生する場とは?対話を生むために。このように演劇を広い視点から解説している。

 昨今、教育の世界ではコミュニケーション能力が強調されることが多いが、そもそも日本語は対話が苦手な言語であると平田氏は言う。これは日本の歴史的背景が関係している。日本は島国であったことに加え、安土桃山以降の約300年もの間、ふつうの庶民は藩の中で一生を過ごすという、きわめて流動性の低い社会であった。そこにあるのは、同化を促進する「会話」だけで、「差異」を許容するような「対話」が発達することはなかったのだ。

 「対話」とは、それぞれ異なる文化を持つ人が自分の考えを主張しつつも、相手の意見に

も耳を傾け、互いに折り合いをつけていること。つまり、コンテクスト(文脈)の摺り合わせである。演劇における「リアル」とは、このコンテクストの共有あるいは新しいコンテクストの生成なのだという。話している者同士のコンテクストがずれてしまうと、演劇は「リアル」ではなくなるし、場の空気が読めない、などと言われることになる。

 これはまさに俳優となるための条件でもある。平田氏が新人俳優を選抜する条件として3点あげている。

 1 コンテクストを自在に広げられる

 2 私に近いコンテクストを持っている

 3 非常に不思議なコンテクストを持っている

 

 俳優になるための条件のうち、2はあくまで個人的なことなので除外するが、1と3はある程度、教育の場でも適用できるように思う。仲間内だけの「会話」から、自分とは違う人との「対話」の機会をもっと増やすことが大切だ。その経験は豊かな学びに結実していくだろう。