Hiro Education

「考えさせられる」問題チャレンジ および「発音をきわめる中国語」のプログラムを提供

国語と日本語の違いとは?

新指導要領によって、高校の国語では、これから文学が選択科目になる。

いいかえるならば、高校生は小説や詩歌などの教養はもはや無くてもいい、

ということだろう。それに代わって、実用文として、行政のガイドラインや契約書を習うのだという。

多くの文学関係者はこの事態を大変憂慮している。私自身も行政文書や冷蔵庫の説明書などは、もっとも読みたくない文の類いだと思っている。大体、言葉がもつ表現の豊かさや感動がない。

さて、国語という科目が日本人向けに存在するのと同時に、日本語という外国人向けの科目が存在する。当然、教え方には相当な違いがある。その最たるものは実用性である。外国人にとっての日本語はまず日本で平穏に暮らすための手段なのである。まず、お役所の言葉に慣れる必要があるし、バイト先の上司には敬語表現を使わなければならない。とにかく、日本語は実用性が第一なのである。

国語の教員免許を持っていても、外国人に対して日本語を教えることはできない、ということの理由は、言葉の目的である。国語は日本人として日本の文化や歴史をより深く理解するための科目である。一方、日本語は使えるかどうかが問題なのだ。

今回、国語の中に実用性が盛り込まれたことをどう考えたらいいのか。

日本人と外国人の境界があいまいになっていくということか。国語の教師も外国人に日本語が教えられるようにするための布石か。

一つの指標は「文化」の有無である。日本「文化」を前提とする学問なのか、それとも日本「文化」をそれほど知らなくとも伝わるものをつくるか。

強引な例だが、司馬遼太郎の小説と村上春樹の小説の違いにも似ている。外国人で、司馬文学に通じる人は稀だが、村上作品は海外での評価の方が高いのである。

「文化」は国民にとっては気持ちの良いものだが、閉鎖的でもある。開かれた文学である村上の小説の中にこそ、今後の日本の「文化」を考えるヒントがあるように思える。

 

娘のコーヒー・デビュー

先日、娘がコーヒー・デビューした。

ブラック・コーヒーである。

砂糖・ミルク入りは前にも飲んだことがあるはずだが、甘くて好きではないと言っていた。

いま彼女は19歳なので、決して早いデビューではないかも知れない。

でも、私自身、甘いコーヒーに慣れてきた人間にとって、画期的なことである。

ブラック・コーヒーが美味しい(正確には香りがいい)と知ったのもせいぜい10年くらい前である。

もともと甘いお菓子が好きだったこともあり、苦い飲み物の方が相性がいいともいえる。

これから、娘はいろいろな分野でデビューを果たしていくだろう。

こっちもその刺激を受けて、デビューならぬ、「復帰」をしていきたい。

小学生時代に少し習った書道を昨年秋から習い始めた。受験でずっとブランクのあった娘も同時に「復帰」した。

しかし、上達の速度は娘に敵わない。

そして、いま娘は自動車教習所に通っている。

運転デビューも近い。ただ、娘が運転する車に乗るのはちょっと怖い…。

楽しみなのはお酒デビューである。

かみさんがビール党なので、それ以外のワインや日本酒で娘と語り合える日が

実に楽しみである。

 

 

日記の使い道

書店の文具売り場で博文館の「当用日記」を見つけた。

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ここにブルーブラックで日記をつけた

小学生のとき、父親に言われて絵日記をつけていた。学校であったことやTVヒーローのことなどを書いていたような気がする(たいしたことを書いていなかったのだろう)。

ただ、絵を描くことが楽しかったことは覚えている。

日記の上のほうに何やらスペースがあり、そこに稚拙な絵(正確にはイラストかな)を描いた。

博文館の日記はハードカバーで分厚い。見開きにしても決して平らにはならないので、実はうまく書けない。

どうあれ、毎日日記をつけていたことは文字を記すことへの抵抗感をなくしてくれたように思う。

しかし、何の筆記用具で書いていたのかが思い出せない。

ところが、先日ずっとしまってあったウォーターマンの万年筆を取り出して、インクを入れて使ってみた。

色は定番のブルーブラックだ。濃紺の渋い色合い。

おや。この色は!そう、小学生時分で万年筆で絵日記を

書いていたのだ!当時、学生雑誌というのがあって、新学期などの号では、購読者を増やすため、万年筆など「豪華」な付録がついていた。高級品ではないけど、大人の気分を味わったものだ。ブルーブラック。淡い思い出の色。

 

 

歩いてますか?歌っていますか?

ある日本語学校で採用のための模擬授業をやることになった。

そこで中上級のクラスで使うプリントを見てびっくり。

以前勤務していた日本語学校で使ったことのある『中上級学習者のための読解ワークブック』の中の「速度によって失うもの」という文章です。

好きなテーマなので、たぶん授業でも使ったと思う。

 

 「自動車に乗る人の目は自動車の目になって物を見てしまう。自転車を利用する人は  自転車の目を自分からとりはずすことができない。」

 

そのような人は「石垣の隙間から這い出している草の花を咲かせようとする気配を見落としてしまう。」

歩く人は「今、目の中に入れたものをゆっくりと咀嚼しながら考え考え足を運ぶことが出来る」のだ。

 そう。昔の人はよく歩いた。それで思い出すのは亡き父がよく語っていたこと。

夕飯を食べ終えると、毎晩ぶらぶらと神保町から須田町の方まで歩いていったという。都電が走っていた時代、須田町はとても栄えていたらしい。神保町界隈には数多くの映画館もあり、きっと様々なお店が並んでいたことでしょう。

 

 それから、昔の人はよく歌を歌った。

銭湯に行けば、必ず誰かが鼻歌などを歌っていました。

物売りの掛け声も独特の節回しで、「きんぎょーえー、きんぎょ」などと行商していました。少し前までは、竿竹屋の声が聞こえましたが、今ではとんと耳にしません。

もはや落語の中でしか聞くことがないです。

詩人の萩原朔太郎は、中学・高校の国語の先生が教科書を読むのではなく、歌っていたと書いている。幕末・明治の人にとって書かれた文章を歌うのは、よくあることだったようです。

 現代人は、身体を使うことが少なくなりました。正確に言うと、視覚に頼ることが多くなっています。「目に見えない」ものを昔の人は身体で感じていたように思います。

カラオケではなく、外で歌を歌ってみたいものです。

 

 

 

 

火星人に人間をどう説明するか?⇒人にとって最も価値のあるものとは?

「考えさせられる」問題に挑戦プログラムの第一弾。

「火星人に人間をどう説明するか?」

これが意外と難しい。

もとは『オックスフォード&ケンブリッジ大学 世界一「考えさせられる」入試問題』に収録されているものです。

同書の解答例では、まず火星人をどう考えるか、ということを説明しています。

知能レベルや意思疎通など、考えるべき問題はたくさんあるとして、焦点を

人間に当てるとします。

つまり、「どう人間を説明するか」という点に焦点を当てて解答するわけです。

そして、医学部の問題であることを踏まえると、人間の組成などや人体のしくみについて説明すれば、一応の解答にはなるというわけです。

確かにこれは一つの戦略ではあります。

 

医学部⇒人体のしくみを説明

国際政治学部⇒平和構築の方法を議論

文学部⇒翻訳論

芸術学部⇒表現手段を工夫…?

 

それぞれの得意とする分野に引き付けて議論するということになります。

しかし、何となく面白みがないように思います。

そもそも「火星人」は「火星」ではなくてもいいのです。

それが「未知なる」存在であればよいのです。

つまり、「未知なる」存在にたいして人類はいかに対処するべきか?という

ことです。

人類の歴史を振り返った時、未知なる文明との出会いは常にありました。

平和的な交渉を前提に話を進めるなら、「交易」がもっとも有効な手段だったと

思います。最初は、互いに言葉が通じないので、「価値のあるモノ」を中間地点に

置いておいて、帰るという「沈黙交易」が行われます。

相手はその「価値のあるモノ」が自分にとっても価値があると判断されれば、

交易はさらに進められるはずです。文明によって何が「価値がある」かは異なります。

相互理解はモノの価値をやり取りするところから始めるというのが基本でしょう。

 

これは相手が火星人でも同様ではないでしょうか。

では、人間にとってもっとも「価値のあるモノ」とは何でしょう?

お金?命?友情?家族?宝石?

 

おそらく火星人相手に地球のお金を渡すことはしないでしょう。

私なら、「美しいモノ」を差し出すと思います。

それは何か?

考えてみます。

 

 

 

 

 

 

 

本題は、医学部で出された問題であることから、

「世界一考えさせられる問題」にチャレンジしませんか 

アクティブラーニングの学習企画

「世界一考えさせられる」問題に挑戦するプログラムを開催します。

8月18日(土)10時半から約一時間

場所:ウイングス京都(京都市男女共同参画センター)

   京都市中京区東洞院通六角下る御射山町262

 

今回のテーマは

「火星人に人間をどのように説明しますか?」

 

人間の形から説明するか、性格を説明するか、それとも…

いろいろなことを考えることで思考は広がります。

イデア⇀発表⇀討論⇀作文

という流れで作業を進めます。

 

様々な実践を通して、総合的な教養を身に付けるようになります。

お気軽にご参加ください。

 

★なお、当日、9時から10時までは「発音をきわめる中国語」無料体験レッスンが

あります。

こちらもどうぞ。

Hiro Education

hhokari@hotmail.com (ホカリ)

 

 

「黙りあい」のさき

 「現代人が失いかけているのは「話しあい」などではなくて、

  むしろ「黙りあい」だ」(寺山修司

 

 今や大学の学部の名前にも使われる「コミュニケーション」。

外国語の能力など、多弁であることがいいという風潮がある。

 

寺山は「黙りとおした」ことのない人に「語りつくせる」はずはないと言う。

「黙る」ということは、話すことがない、ということではなかろう。

話す「必要がない」、あるいは話す「べきではない」ということだと思う。

配偶者も含めて、他人に対して、何を話すか、よく考えてから行動すべきだ。

それは話し相手への礼儀だろう。

寅さんも「それを言っちゃあ、おしまいよ」と言っていた。

 

一方、現代人は「語りつくす」こともしていない。

SNSなどで返信の速さが重視されるが、その中身は空疎である。

「語る」ことは、ただ「話す」ことではなく、あるまとまった内容を順序だてて

話すことである。よほど話の内容が整い、納得させるだけの中身がなければ、

語りつくすことはできないだろう。

 

「黙りあい」という状況には緊張感が漂っている。しかし、その長い沈黙のさきに、

誰かの一言によって必ず扉は開かれる。

案外、「話し合い」よりも「黙りあい」のさきの方に

和解の可能性があるのかも知れない。

 

 

 

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