Hiro Education

「考え方」を変えたら、楽しくなる

音楽と戯れたい

TV番組で花火大会の映像(過去の)が流れていた。コロナウイルスの影響で夏の風物詩が楽しめなくなり、映像だけでもということか(ほんの少しだけ癒されたが)。
その中に災害復興を祈念する数回の花火大会の映像が流されたが、そのどれもBGMに平原綾香さんの「ジュピター」が使われていて違和感を感じた。確かにこの曲を聴くと厳粛な気持ちになるし、平原さんの声も説得力がある。しかし、復興祈念花火大会のBGMは必ずこの曲でなければいけないのか。「音楽」が「感動」の名のもと、安易に使われているのではないかと思ってしまう。
どんなに素敵な音楽も機械的に扱われたら、その価値は半減する。
そもそも「音楽」とは人にとってどのような存在なのか?「教養」としての音楽を押し付けられることの苦痛は以前書いた。「教養」とか「経済」の論理とは違った次元で音楽と戯れるようなことがもっと日常にあっていいと思う。というか、戯れたいと切に願っているのだが・・・。