Hiro Education

「考え方」を変えたら、楽しくなる

アート思考について

小中学校で受けた「音楽」と「美術」の授業は楽しかったですか。

私の場合、音楽の授業は苦痛以外の何物でもなかった。クラシック音楽の鑑賞はともかく、小難しい音楽理論までテストされた。要するに西洋古典音楽の知識を強要させられたのだ。面白いハズがない。一方、美術の授業は作品制作が主で、テストなどで知識を問われることはなかった。私の「音楽嫌い、美術好き」はこうして決まった。

美術館にはよく行くが、名画を前にしたとき、何をするか。まずタイトル・作者を確認、説明文があれば、それも読む。そして作品を眺める。

「素晴らしい絵だな。やはりモネの絵は。」

モネの絵だから「素晴らしい」のか。実はその「素晴らしさ」は曖昧だ。

 『13歳からのアート思考』(末永幸歩著)は、「正解」を前提としない美術教育の話である。そもそも「素晴らしい作品」とはどのようなものなのか。アート作品の「見方」とは。アートは美を追求するものなのか…。多くの疑問が出てくる。

 この本が優れている点は、指摘されたことがアートにとどまらず、ビジネスや教育一般にも適応できることだ。先が見えない時代、「答え」は常に変化している。だから、自分なりの視点を持ち、自分で考える必要があるのだ。アートは、そうした思考を鍛える上で格好のフィールドであると言える。

 本の冒頭にモネの『睡蓮』が提示されている。「何が見えますか。」

 印象画の特徴は…などとウンチクを傾けてはいけない。

池の中に「かえる」がいることに想像を広げることができるか。目に見えない存在、絵には描かれていない存在に思いを致すこともアート思考なのだ。知識詰め込み型の教育を受けてきた者にとって、正直これはキツイ作業である。でも面白い。

 著者は「美術なのに、あたかも「正解」があるような教育システムになっている」と、これまでの日本の美術教育を批判している。「美術なのに」という表現を納得することはできるが、他の科目(理系はさておき)についてもあてはまるように思う。学習者に「正解」を求める教育は、自分の頭で深く「考える」機会を奪ってしまう。「正解」が出せたら、それで満足してしまい、思考停止になる。こんな日本人は多い。自分なりの答えを導くための思考のプロセスが大事なのである。だから正解を試すためのテストはあまり重要ではない。

アート思考を美術以外の教育にどのように応用できるか、考えてみたい。

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