Hiro Education

「考え方」を変えたら、楽しくなる

思考の「脱線」

「美人」「美男子」は民族や時間を超えるか?
 あるある話で、日本人女性と西洋人男性との夫婦は多いが、その逆は少ない、というのがある(本当かな)。ある人を好きになるのは、顔だけではないが、一般論として美人とか美男子という人は確かにいるし、目や鼻や口の配置などのバランスがとれていて、ある種の基準はありそうだ。
 『世界史のミカタ』(井上章一佐藤賢一)という本に、2500年前の西洋の彫刻を見て、美人だと感じるし、パリのルーブル美術館の絵画に描かれた美人と周囲を歩いている美人を見比べるとあまり変わらない。しかし、日本の高松塚古墳に描かれた女性、江戸時代の浮世絵の美人は長すぎる顔・つり目・小さすぎる口など現代人にしたら美人とは言えない、ということが書いてあった。
 ここでのポイントは、西洋では古代から美人の基準は変わっていないのに、日本では時代によって美人の基準が変わった、という点が一つ。ただ、反証として、奈良の興福寺の阿修羅像の美少年ぶりに「まいってしまう」現代人は多い、ことが書かれている。結局のところ、日本でも美しさの基準はそれほど変わっていなく、近代以前の日本では三次元ではリアルな顔を再現できたが、二次元で整った顔立ちを描く能力がなかったというだ。
 そして、なぜ日本や中国では二次元で描く能力がなかったのか(なぜ西洋では可能となったのか?)という問いが投げかけられている。明確な答えはなく、ただ、西洋美術には高い普遍性があるのかも知れないとだけ述べられている。

 このテーマはさまざまな話に「脱線する」ことができる。
①今でもマンガやアニメなど日本人は二次元での表現が好きだ。「リアルさ」よりも省いたり、誇張したりするのを好むのか。
②生物学的に考えることもできる。動物の世界でも「美人」はいるのか。大陸世界では混血が進むが、島国ではそれほど進まないという点の違いはあるのか。

 大学で教えていた時、授業のはじめの5分位をつかって、いろいろな脱線話をして、学生の笑いを誘ったが、実は授業の本題でも、もっと脱線してもよかったと思う。教育とは物事を一つの視点でなく、自分の想像を膨らませ、思考することが大切だから。
 「脱線する」ことが思考力をつける。

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