Hiro Education

「考え方」を変えたら、楽しくなる

人がもつ自然の力を

「発酵」というものがずっと気になってきた。もちろん、漬物は大好きだが、ここでは、「自然」が時間をかけてつくってくれる作業の意味に興味がある。古来、人は自分でつくることができないものを「自然」に託して作り出してきた。人はただそれを待つことしかできない。急いではダメだ。ただ「待つ」。
しかし、近代になってスピードや効率が求められ、人は「待つ」ことが少なくなってきた。
発酵を探求している小倉ヒラクさんは醸造家との出会いを次のように書いている。

「「創造的であること」を命題としていた当時の僕にとって、人間以外の理と関わり合いながら生きる人々との出会いは未知との遭遇であり、同時に懐かしいものであった。朝から晩まで人間とだけコミュニケーションすることで完結する生き方はそもそも近代以降の特殊な生き方なのではないか?僕の祖父や醸造家たちのように生きてきた人々は海や森や微生物たちと日常的に関わり、彼らの気配を感じ、人間どうしのそれとは違うコミュニケーション回路を持っていたのではないか?」(『日本発酵紀行』D&Department Project, 2019)

「人間以外の理と関わる」とは、「自然」のリズムを聴き取り、生活に取り入れることだろう。伝統社会では当たり前のこと。それが近代では否定され、「自然」は工学的・人工的に管理されるようになった。
私が危惧するのは人間の身体能力の外部化である。今の教育やビジネスの場でAIの活用が言われるが、それは人が本来もっている能力を削ぎ落すことに他ならない。「自然の理」を感じ取り、感性を研ぎ澄ますこと。これからの教育において、プログラミングの学習だけではなく、人が本来もっている生き物としての能力の向上に力を注ぐべきではないか。

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