「わけがわからない」ことが面白い!
「わけがわからない」ことが面白い!これは学ぶことにおいて大切なことだと思います。
実は私は40代になって初めて村上春樹の小説が面白いと感じるようになりました。それは彼の小説がよく「わからない」からです。
今、川上未映子との対談集『みみずくは黄昏に飛びたつ』を読んでいますが、その中に村上自身の言葉ではっきりと述べられています。
「いわゆる私小説作家が書いているような、日常的な 自我の葛藤みたいなのを読むのが好きじゃないんです。」
「頭で解釈できるようなものは書いたってしょうがない…物語というのは、解釈できないからこそ物語になるんであって…」
「(川上)それはいわゆる「この本を読んだら感動できる」とか「泣ける」といった、共感を約束するものではないじゃないですか。」
「全然。」「感動なんかできない。泣けもしない。
むしろ、なんだかワケがわかんなくなるかもしれない。」
村上は近代的自我をわざと避けています。それは、「地下一階」の「クヨクヨ室」の世界。彼はその下にある「地下二階」の古代的な無意識の、洞窟のような世界を描こうとしているようです。だから、時として小説では「わけがわからない」ことが頻繁に起きます。
村上の小説を面白いと感じる人もいれば、そうではない人もいる。でも「わからないこと」の先にこそ新しい発見があるように思います。日常のレベルであまり「クヨクヨ」しても仕方ない。もっと深い部分で感じたり、考えたりすることが楽しい。そんなことを村上春樹は教えてくれます。こんなところに普遍的な価値があるのかもしれません。