Hiro Education

「考え方」を変えたら、楽しくなる

歩いてますか?歌っていますか?

ある日本語学校で採用のための模擬授業をやることになった。

そこで中上級のクラスで使うプリントを見てびっくり。

以前勤務していた日本語学校で使ったことのある『中上級学習者のための読解ワークブック』の中の「速度によって失うもの」という文章です。

好きなテーマなので、たぶん授業でも使ったと思う。

 

 「自動車に乗る人の目は自動車の目になって物を見てしまう。自転車を利用する人は  自転車の目を自分からとりはずすことができない。」

 

そのような人は「石垣の隙間から這い出している草の花を咲かせようとする気配を見落としてしまう。」

歩く人は「今、目の中に入れたものをゆっくりと咀嚼しながら考え考え足を運ぶことが出来る」のだ。

 そう。昔の人はよく歩いた。それで思い出すのは亡き父がよく語っていたこと。

夕飯を食べ終えると、毎晩ぶらぶらと神保町から須田町の方まで歩いていったという。都電が走っていた時代、須田町はとても栄えていたらしい。神保町界隈には数多くの映画館もあり、きっと様々なお店が並んでいたことでしょう。

 

 それから、昔の人はよく歌を歌った。

銭湯に行けば、必ず誰かが鼻歌などを歌っていました。

物売りの掛け声も独特の節回しで、「きんぎょーえー、きんぎょ」などと行商していました。少し前までは、竿竹屋の声が聞こえましたが、今ではとんと耳にしません。

もはや落語の中でしか聞くことがないです。

詩人の萩原朔太郎は、中学・高校の国語の先生が教科書を読むのではなく、歌っていたと書いている。幕末・明治の人にとって書かれた文章を歌うのは、よくあることだったようです。

 現代人は、身体を使うことが少なくなりました。正確に言うと、視覚に頼ることが多くなっています。「目に見えない」ものを昔の人は身体で感じていたように思います。

カラオケではなく、外で歌を歌ってみたいものです。