「よちよち」と「よたよた」の間
毎日の楽しみの一つに「折々のことば」(『朝日新聞』朝刊)がある。
哲学者鷲田清一氏の撰と解説による、珠玉のことばである。
今朝は解剖学者の三木成夫(みきしげお)のことば。
三木の『海・呼吸・古代形象:生命記憶と回想』を読んで、目からウロコがおちる経験をした。人間の身体が空洞であること、口が内蔵の一部であり、赤ちゃんが何でも口に入れることは免疫をつけることと、外界を認識するため、というようなことが書かれていたように思う。現在、腸の役割が重視され出しているが、三木は早くから腸管系の大切さを指摘していたことに驚かされる。
さて、8月2日の「折々のことば」では、
「わずか「タ」と「チ」の違いで何十年も年をとる」
という三木のことばが引用されている。
つまり、「よちよち」から「よたよた」へ。
たった一音の響きの変化が数十年の時の経過を表すのだという。
いわゆるオノマトペの妙である。
鷲田はその後、人はやがて「よろよろ」になり、いつか「よぼよぼ」「よれよれ」に
になりもする、とつっこみを入れている。
何故このようなオノマトペが誕生したのか、実に不思議だ。
外国人の日本語学習者にとっては最も難しい日本語表現の一つである。
すでに50代。
今の自分は「よちよち」と「よたよた」の間だが、何と表現できるだろうか。
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自然界に回転するものはない?
ある本に「科学技術の進歩が、回転を減らしている」とありました。
確かに、レコードやCDは回転していましたが、iPodやiPhoneには、回転するモーターはありません。産業革命の時代以来、ものを動かすメカニズムには、常に回転を伴っていました。機関車、自動車、飛行機など動力は回転しています。しかし、最近は回転しないものが登場してます。ロケット、リニアモーターなど。
些か旧いネタですが、昭和世代は「チャンネル、回して!」とつい言ってしまいますが、今はリモコンのボタンです。
電話に至っては、ダイヤル式からプッシュ式、そして今はタッチするだけ。
身の回りから「回す」ものが減ってきています。
そして、本には、「自然の中には、回転するものがほとんどない。人間の躰(からだ)の中にもない。タイヤで走る動物もいない。」とありました。著者の森博嗣さんは、理系出身の作家なのでウソは書かないとは思いますが、ホントかしらと思ってしまう。
ダンゴムシは丸くなって回転するのでは?
地球は自転しているのでは?
回転は結局、もとの場所に戻ってきます。そのため、管理しやすいのでしょう。
しかし、渦巻き回転は違います。螺旋状の動きになります。うちの朝顔のツルも螺旋状に成長しています。かたつむり、貝殻など自然界に渦巻きは多いです。
蚊取り線香が円だったら、役に立ちません。渦巻きだから長時間、もしかしたら半永久に使えることになります。「渦巻き」=無限性=自然
「回転」のポイントは有限性ということかも知れません。
文系の私にはやや難しいテーマですが考えたら面白いですね。
どんな大臣が必要?
「あなたが総理大臣になったら、新しく何大臣をつくりますか?」
今年一月、英国では「孤独担当大臣」(Minister of Loneliness)が新設されました。
同国では、10人に1人が孤独であるといいます。
政府による予算削減の影響で地方自治体が公立図書館やデイケア・センターを次々と閉鎖しているのも一因だと言われていますが、日本も同じような問題が深刻化しているはずです。英国は、いち早く社会問題として、「孤独」を政治的に救済することを実行したのです。英国の良心がうかがえます。
さて、もしあなたが総理大臣になったら、何大臣を新設しますか?
世界には、いろいろユニークな大臣があります。
「幸せ大臣」(Minister of state of Happiness」(アラブ首長国連邦)
「アーユルベーダ、ヨガ、自然療法、…大臣」(インド)
など、国が目指す方向や理念が感じられます。
実は、日本にもユニークな大臣が実在します。
「人づくり革命担当大臣」とか、「一億総活躍大臣」など。
これらは高尚な理念というよりも、政策課題であり、政府のキャッチコピーといった感じがしますね。
近い将来必要となるのは、「移民担当大臣」でしょう。すでに多くの外国人が留学生や研修生として日本で生活しています。少子高齢化が避けられない以上、長期的には移民は必要でしょうし、それを見越した国造りを模索することが大切でしょう。
そして遠い将来には、「AI担当大臣」がきっと重要な役割を果たすはずです。
人とAIの共存が現実問題となるに違いありません。
それとも、人工知能自身が入閣して、「AI大臣」が誕生する日も?
ちょっと怖いような…
マリ人の大学長
京都精華大学で4月にマリ人のウスビ・サコさんが学長に就任しました(「ひと」『朝日新聞』2018年7月14日)。
最初は中国に留学して、南京の大学で建築を学んだそうです。帰国後、母国の経済が悪化し、再び日本の京都大学の大学院に入って、博士号を取得したそうです。
彼は次のように言っています。
「大学は人間とは何かを考える場。学生にはすぐ役に立つ技術ではなく、真の教養をみにつけてほしい。そのための改革を進めていく」
「すぐ役に立つ」学問ばかりが推奨される昨今、はっきりとそれを否定できる学長は多くないでしょう。
大学という場で学生がみにつけるべきものは何か?
昔の大学生は授業をサボって麻雀に明け暮れていました。それでも卒業後は就職できました。その時代、大学は教育の機能を果たし得なかったという理由はあります。
今日、大学が提供する「サービス」は実学的なものが中心です。
もっと「人間とは何か」を考えるような場や仕掛けがあってもいいと思います。
日本語は誰のもの?
いま、日本語教師の資格をとるべく、「日本語教育能力検定試験」の勉強をしています。
その参考書として『完全攻略ガイド』(ヒューマンアカデミー著)を読んでいますが、いろいろと考えさせられることがあります。
それは「日本語の多様性」についてです。
インバウンドなど外国人の日本文化熱はかなりです。
ある程度日本語が話せる外国人に向かって、「日本語がお上手ですね」などということがあります。こうした態度は改められるべきだろう。その根底には、「日本語は日本人のもの」といった考えがあるからだ。
上記の『完全攻略ガイド』次のように明言します。
「ある言語は母語話者だけのものではない。母語話者同士、母語話者と非母語話者、非母語話者同士などの間で、それぞれ異なった、多様な言語が用いられる。必要なことは、そのような言語の多様性を受け入れることである。」
これは大切なことです。英語が強力な言語として世界中に広がる一方で、多くの小言語が消滅したという事実は知られています。でも、日本でも琉球語やアイヌ語は消滅寸前です。日本人は言語的人権に鈍感だと言えます。
今後、日本に暮らす外国人が増えると、日本語は新しい意味で多様化することでしょう。従来は若者言葉が新しい日本語の源泉でした。しかし、これからは、日本語の非母語話者同士が日本語でコミュニケーションをする機会が普通となるかと思います。『完全攻略ガイド』は言います。
「そこでは、いわゆる規範的な日本語とは異なる日本語が用いられるということを認識しておく必要がある。」
日本人は時々、「外国人にとって、日本語は難しい。それに比べて英語は簡単だ」などと半分自慢気に言ったりします。これは全くの時代錯誤でしょう。これからの時代、多くの外国人にもわかりやすい「やさしい日本語」が重要になってきます。実際、災害時の言語サービスを「やさしい日本語」で提供する研究もなされています(弘前大学人文学部社会言語学研究室)。
交流の妨げとなる、さまざまな「壁」を少しでも「低く」することが民主主義ですね。