Hiro Education

「考え方」を変えたら、楽しくなる

人がもつ自然の力を

「発酵」というものがずっと気になってきた。もちろん、漬物は大好きだが、ここでは、「自然」が時間をかけてつくってくれる作業の意味に興味がある。古来、人は自分でつくることができないものを「自然」に託して作り出してきた。人はただそれを待つことしかできない。急いではダメだ。ただ「待つ」。
しかし、近代になってスピードや効率が求められ、人は「待つ」ことが少なくなってきた。
発酵を探求している小倉ヒラクさんは醸造家との出会いを次のように書いている。

「「創造的であること」を命題としていた当時の僕にとって、人間以外の理と関わり合いながら生きる人々との出会いは未知との遭遇であり、同時に懐かしいものであった。朝から晩まで人間とだけコミュニケーションすることで完結する生き方はそもそも近代以降の特殊な生き方なのではないか?僕の祖父や醸造家たちのように生きてきた人々は海や森や微生物たちと日常的に関わり、彼らの気配を感じ、人間どうしのそれとは違うコミュニケーション回路を持っていたのではないか?」(『日本発酵紀行』D&Department Project, 2019)

「人間以外の理と関わる」とは、「自然」のリズムを聴き取り、生活に取り入れることだろう。伝統社会では当たり前のこと。それが近代では否定され、「自然」は工学的・人工的に管理されるようになった。
私が危惧するのは人間の身体能力の外部化である。今の教育やビジネスの場でAIの活用が言われるが、それは人が本来もっている能力を削ぎ落すことに他ならない。「自然の理」を感じ取り、感性を研ぎ澄ますこと。これからの教育において、プログラミングの学習だけではなく、人が本来もっている生き物としての能力の向上に力を注ぐべきではないか。

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Happy New Ears !!

Happy New Ears! (John Cage, 1963)
「新しい耳、おめでとう!」

ジョン・ケージが日本のラジオ

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局から新年の挨拶を求められた時に日本の音楽愛好家に贈ったことばだという。

「聞く人に関する限り、問題の核心はどこにあるか。耳を持っているのだから、それを使ってみよう。新しい耳、おめでとう!」(ジョン・ケージ

「聴く人が耳をきちんと使えば、これまでの狭い音楽概念を超えて、あらゆる音を音楽として捉えることができるはずだ。まさに新しい耳の誕生である。」(白石美雪)

白石美雪『すべての音に祝福を ジョン・ケージ 50の言葉』(アルテスパブリッシング、2019)を読んだ。一切弾かないピアノ演奏が有名だが、社会問題にも若いころから関心があったこと、東洋思想も学び、鈴木大拙を尊敬していたことを知った。
政府や教育によって縛られた思考枠をはずし、自然や日常のなかから新しい思想を、自由で豊かな発想をもっと汲み取ろう。
新しい耳、新しい目、新しい感性を持とうではないか!

「小声で静かに」

「私たちが小声で静かになったら、他の人たちの考えを学ぶ機会が得られるはずだから」(ジョン・ケージ
For we should be hushed and silent, and we should have the opportunity to learn that other people think.(John Cage,1927)

稀代の音楽家は、好況に沸く1920年代のアメリカでこう語った。15歳だったケージの弁論大会でのことばである。そして優勝した。汎アメリカ主義への批判が評価されたこと自体もアメリカの知性を感じる。

教育の場において、教師が大声で生徒を叱ることは日常的に見られる。しかし、そこに相手への尊重はない。相手の気持ちを静かに聞く。静かに待つ姿勢を持ちたい。

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イエナプラン教育

教師が教師をいじめる。そんな馬鹿な事態が日本にはまだある。
日本の公教育は硬直化している。ただ、先進的な学校教育もはじまっている。
ここでは雑誌『ソトコト』11月号に掲載されていたイエナプラン教育について触れたい。
もとは1920年代にドイツのペーター・ペーターゼンという教育者が提唱し、その後オランダにおいて1960年代以降、公教育の場でイエナプラン教育は普及していったという。
その特徴は、それぞれの子どもの個性や発達を尊重し、その子らしく育てること。具体的には、「グループ」。1クラスの中に異なる年齢の子どもたちが集まり、教えたり、教えられたりすることでそれぞれが理解を深めることができる。また、個別指導と自立学習、意見や感想を共有する「サークル対話」などがある。
その他、科目横断的な学び「ワールドオリエンテーション」、固定的な時間割ではなく、活動や学習の状況に応じて循環する、絵や写真などデジタル化された情報ではなく、本物の自然に触れる機会を重視した「真正性」などなど、共鳴できる要素が沢山。
日本でも長野県・佐久穂町の小学校が誕生したという。
私が以前働いていたインターナショナルスクールは文科省一条校であったためか、教育が中途半端であったように思う。発達障害の子どもへの学校の対応が不十分であった。
今後、イエナプラン教育などより子どもを中心とした公教育が日本でも普及してほしい。
詳しくは雑誌『ソトコト』2019年11月号を。

国語と日本語の違いとは?

新指導要領によって、高校の国語では、これから文学が選択科目になる。

いいかえるならば、高校生は小説や詩歌などの教養はもはや無くてもいい、

ということだろう。それに代わって、実用文として、行政のガイドラインや契約書を習うのだという。

多くの文学関係者はこの事態を大変憂慮している。私自身も行政文書や冷蔵庫の説明書などは、もっとも読みたくない文の類いだと思っている。大体、言葉がもつ表現の豊かさや感動がない。

さて、国語という科目が日本人向けに存在するのと同時に、日本語という外国人向けの科目が存在する。当然、教え方には相当な違いがある。その最たるものは実用性である。外国人にとっての日本語はまず日本で平穏に暮らすための手段なのである。まず、お役所の言葉に慣れる必要があるし、バイト先の上司には敬語表現を使わなければならない。とにかく、日本語は実用性が第一なのである。

国語の教員免許を持っていても、外国人に対して日本語を教えることはできない、ということの理由は、言葉の目的である。国語は日本人として日本の文化や歴史をより深く理解するための科目である。一方、日本語は使えるかどうかが問題なのだ。

今回、国語の中に実用性が盛り込まれたことをどう考えたらいいのか。

日本人と外国人の境界があいまいになっていくということか。国語の教師も外国人に日本語が教えられるようにするための布石か。

一つの指標は「文化」の有無である。日本「文化」を前提とする学問なのか、それとも日本「文化」をそれほど知らなくとも伝わるものをつくるか。

強引な例だが、司馬遼太郎の小説と村上春樹の小説の違いにも似ている。外国人で、司馬文学に通じる人は稀だが、村上作品は海外での評価の方が高いのである。

「文化」は国民にとっては気持ちの良いものだが、閉鎖的でもある。開かれた文学である村上の小説の中にこそ、今後の日本の「文化」を考えるヒントがあるように思える。

 

娘のコーヒー・デビュー

先日、娘がコーヒー・デビューした。

ブラック・コーヒーである。

砂糖・ミルク入りは前にも飲んだことがあるはずだが、甘くて好きではないと言っていた。

いま彼女は19歳なので、決して早いデビューではないかも知れない。

でも、私自身、甘いコーヒーに慣れてきた人間にとって、画期的なことである。

ブラック・コーヒーが美味しい(正確には香りがいい)と知ったのもせいぜい10年くらい前である。

もともと甘いお菓子が好きだったこともあり、苦い飲み物の方が相性がいいともいえる。

これから、娘はいろいろな分野でデビューを果たしていくだろう。

こっちもその刺激を受けて、デビューならぬ、「復帰」をしていきたい。

小学生時代に少し習った書道を昨年秋から習い始めた。受験でずっとブランクのあった娘も同時に「復帰」した。

しかし、上達の速度は娘に敵わない。

そして、いま娘は自動車教習所に通っている。

運転デビューも近い。ただ、娘が運転する車に乗るのはちょっと怖い…。

楽しみなのはお酒デビューである。

かみさんがビール党なので、それ以外のワインや日本酒で娘と語り合える日が

実に楽しみである。

 

 

日記の使い道

書店の文具売り場で博文館の「当用日記」を見つけた。

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ここにブルーブラックで日記をつけた

小学生のとき、父親に言われて絵日記をつけていた。学校であったことやTVヒーローのことなどを書いていたような気がする(たいしたことを書いていなかったのだろう)。

ただ、絵を描くことが楽しかったことは覚えている。

日記の上のほうに何やらスペースがあり、そこに稚拙な絵(正確にはイラストかな)を描いた。

博文館の日記はハードカバーで分厚い。見開きにしても決して平らにはならないので、実はうまく書けない。

どうあれ、毎日日記をつけていたことは文字を記すことへの抵抗感をなくしてくれたように思う。

しかし、何の筆記用具で書いていたのかが思い出せない。

ところが、先日ずっとしまってあったウォーターマンの万年筆を取り出して、インクを入れて使ってみた。

色は定番のブルーブラックだ。濃紺の渋い色合い。

おや。この色は!そう、小学生時分で万年筆で絵日記を

書いていたのだ!当時、学生雑誌というのがあって、新学期などの号では、購読者を増やすため、万年筆など「豪華」な付録がついていた。高級品ではないけど、大人の気分を味わったものだ。ブルーブラック。淡い思い出の色。