どんな大臣が必要?
「あなたが総理大臣になったら、新しく何大臣をつくりますか?」
今年一月、英国では「孤独担当大臣」(Minister of Loneliness)が新設されました。
同国では、10人に1人が孤独であるといいます。
政府による予算削減の影響で地方自治体が公立図書館やデイケア・センターを次々と閉鎖しているのも一因だと言われていますが、日本も同じような問題が深刻化しているはずです。英国は、いち早く社会問題として、「孤独」を政治的に救済することを実行したのです。英国の良心がうかがえます。
さて、もしあなたが総理大臣になったら、何大臣を新設しますか?
世界には、いろいろユニークな大臣があります。
「幸せ大臣」(Minister of state of Happiness」(アラブ首長国連邦)
「アーユルベーダ、ヨガ、自然療法、…大臣」(インド)
など、国が目指す方向や理念が感じられます。
実は、日本にもユニークな大臣が実在します。
「人づくり革命担当大臣」とか、「一億総活躍大臣」など。
これらは高尚な理念というよりも、政策課題であり、政府のキャッチコピーといった感じがしますね。
近い将来必要となるのは、「移民担当大臣」でしょう。すでに多くの外国人が留学生や研修生として日本で生活しています。少子高齢化が避けられない以上、長期的には移民は必要でしょうし、それを見越した国造りを模索することが大切でしょう。
そして遠い将来には、「AI担当大臣」がきっと重要な役割を果たすはずです。
人とAIの共存が現実問題となるに違いありません。
それとも、人工知能自身が入閣して、「AI大臣」が誕生する日も?
ちょっと怖いような…
マリ人の大学長
京都精華大学で4月にマリ人のウスビ・サコさんが学長に就任しました(「ひと」『朝日新聞』2018年7月14日)。
最初は中国に留学して、南京の大学で建築を学んだそうです。帰国後、母国の経済が悪化し、再び日本の京都大学の大学院に入って、博士号を取得したそうです。
彼は次のように言っています。
「大学は人間とは何かを考える場。学生にはすぐ役に立つ技術ではなく、真の教養をみにつけてほしい。そのための改革を進めていく」
「すぐ役に立つ」学問ばかりが推奨される昨今、はっきりとそれを否定できる学長は多くないでしょう。
大学という場で学生がみにつけるべきものは何か?
昔の大学生は授業をサボって麻雀に明け暮れていました。それでも卒業後は就職できました。その時代、大学は教育の機能を果たし得なかったという理由はあります。
今日、大学が提供する「サービス」は実学的なものが中心です。
もっと「人間とは何か」を考えるような場や仕掛けがあってもいいと思います。
日本語は誰のもの?
いま、日本語教師の資格をとるべく、「日本語教育能力検定試験」の勉強をしています。
その参考書として『完全攻略ガイド』(ヒューマンアカデミー著)を読んでいますが、いろいろと考えさせられることがあります。
それは「日本語の多様性」についてです。
インバウンドなど外国人の日本文化熱はかなりです。
ある程度日本語が話せる外国人に向かって、「日本語がお上手ですね」などということがあります。こうした態度は改められるべきだろう。その根底には、「日本語は日本人のもの」といった考えがあるからだ。
上記の『完全攻略ガイド』次のように明言します。
「ある言語は母語話者だけのものではない。母語話者同士、母語話者と非母語話者、非母語話者同士などの間で、それぞれ異なった、多様な言語が用いられる。必要なことは、そのような言語の多様性を受け入れることである。」
これは大切なことです。英語が強力な言語として世界中に広がる一方で、多くの小言語が消滅したという事実は知られています。でも、日本でも琉球語やアイヌ語は消滅寸前です。日本人は言語的人権に鈍感だと言えます。
今後、日本に暮らす外国人が増えると、日本語は新しい意味で多様化することでしょう。従来は若者言葉が新しい日本語の源泉でした。しかし、これからは、日本語の非母語話者同士が日本語でコミュニケーションをする機会が普通となるかと思います。『完全攻略ガイド』は言います。
「そこでは、いわゆる規範的な日本語とは異なる日本語が用いられるということを認識しておく必要がある。」
日本人は時々、「外国人にとって、日本語は難しい。それに比べて英語は簡単だ」などと半分自慢気に言ったりします。これは全くの時代錯誤でしょう。これからの時代、多くの外国人にもわかりやすい「やさしい日本語」が重要になってきます。実際、災害時の言語サービスを「やさしい日本語」で提供する研究もなされています(弘前大学人文学部社会言語学研究室)。
交流の妨げとなる、さまざまな「壁」を少しでも「低く」することが民主主義ですね。
「試し書き」から見えるもの
文具屋さんの筆記具売り場にはよく白い紙が置かれていますね。
いわゆる「試し書き」ですね。
みなさんは何を書きますか?
私は自分の文字にあまり自信がないので、普通は波線のような図形を描きます。それに誰が見るかも分からないという不安から、プライバシーに関わることは危険かも、と思ってしまいます。
それにこの紙が半永久的に保存されてしまったら、という心配もあります。
そう。実際に収集して分析している人がいました。
『「試し書き」から見えた世界』(寺井広樹著)という本です。
その「試し書き」から、お国柄がハッキリ現れるというのです。
少し例を挙げます。
ベルギー:明るくマイペース。
スペイン:陽気で奔放な「グルグル線」。
エジプト:不思議できれいなアラビア書道。
インド:ゼロを発見した国なので、計算がいっぱい。
中国:後ろ向きの言葉がいっぱい、情報統制へのうさはらし?
興味深いのは、書かれた内容だけではありません。
日本人は、他の人が書いた線の上には、できるだけ書かない、ということです。ここには日本人の潔癖症や人の邪魔をしてはいけないという心情が働いているのでしょう。
他の国では、前の人が書いた絵に書き足していくというアートのような共同作業などもあるようです。
そもそも「試し書き」の目的は、その筆記具の書き味を試すということにあります。でも、ただ「インクを出す」だけでは面白くない、と考えるのが人間の人間たる所以です。つまり、人は「機能の確認」だけでは飽き足らず、「ついで」に「何か」を付け足してしまうのです。この「ついで」というのは、じっくり時間をかけることのない状況ですから、その人の教養が表現されることはなく、素直な人柄や感性や感情がフッと出てしまうのです。これは意外と怖いことです。会社の採用に当たってよくやる「適性検査」も嘘がバレる可能性がありますが、「試し書き」はもっと「素」が出ます。
また、この「ついで」というのは、とても人間らしい行為です。一つの目的が達成されれば良いものの、人はついつい別のこともやってしまうわけです。それはある意味、創造性の源なのかも知れません。
パソコンやスマホが普及してから、人は筆を持つことが少なくなりました。今後、「試し書き」の機会は実は貴重な時間になるのかも知れません…。
Chi fan le ma?
90年代の初め頃、上海の復旦大学に留学しました。スマホなど無かった時代ですから、日本との連絡は国際電話か、国際郵便しかありません(そう言えば、青と赤の斜め線で縁取られた国際郵便用の封筒ってまだあるのかしら?)。電話といっても、留学生宿舎には受付にしか電話はないので、日本から電話が来ると、部屋のスピーカーから「〇〇、有電話!」という声があり、3階の部屋からすっ飛んで行くというものでした。そういえば、その受付の横には、売店があり、ちょっとしたジュースやスナック類が売られていました。驚いたのはあるアメリカ人が大きなチョコレートを丸かじりしていた光景を見た時です。小さく砕いて食べる方法に親しんでいたので、ご飯のように板チョコを食べる姿はやはり奇異でした。
すみません。全然中国語と関係ありませんね。
総じて西洋人(おおざっぱで申し訳ないです)は中国語を話すことに躊躇していませんでした。日本人が考えながら話すことが多いのとは大違いでした。彼らにとっては、発音よりも漢字学習の方が難関なのだと思います。とにかく音から学習する、という外国語学習の王道なわけです。しかも発音記号はローマ字ですから、漢字よりもスーット頭に入るのでは。
Chi fan le ma? (飯食った?)
とりあえず西洋人はまずこのフレーズを使いまくっていました。中国人社会では、これが基本ですね。
発音をきわめる中国語 無料体験レッスン!!
発音を「きわめる」などと大きなことを言っていますが、その意図は、まず「発音」をきちんとマスターしてから漢字(簡体字)を勉強しましょう、ということにあります。
みなさんは、中国語の辞書を使ったことがありますか?今の時代、辞書と言えば、電子辞書になるかも知れませんが。でも、「紙」の辞書にも長所はあります。
前にも書いた、日中学院という中国語の専門学校の創設者である倉石武四郎先生がつくった辞書は他の中国語辞書とはまったく異なり、独特というか、異端というか、ポリシーを感じさせるものです。
書店で売られている多くの中国語辞典をパラパラとめくってみれば、わかりますが、それは日本の漢和辞典と同じように漢字を中心に配列されています。
それに対して、倉石先生の『岩波 中国語辞典』は配列が漢字ごとではなく、ピンインなのです。私も最初はどのように使っていいのか、不安でした。でも、中国語を学習するのに、「漢字」から入ってしまうと、「読む」ことはできても、「聞く」ことや「話す」ことはできなくなってしまいます。
倉石先生は、ピンインの学習、つまり「発音」の学習がまず大切だということを強調されていたのです。
だから、『岩波 中国語辞典』は、日本語と同じ漢字を使っていても、中国語は「外国語」なのであり、「外国語」として習うのだという気構えを伝えたかったのでしょう。
ぜひ倉石武四郎『岩波 中国語辞典』を手に取ってみて下さい。
「耳と口の練習」から、中国語を勉強してみましょう。
告知:7月28日14時から、無料体験レッスンを開催します。
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